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2016年3月4日

【EV】電気自動車の普及はHypeか本物か?

新しい技術が発明され、それが普及する過程を考える場合、そこには大きく2つの要素があります。1つは技術の進歩の側面であり、技術が発展することによって生活などを実際に変えることがわかっている事から、その技術を採用するというプロセスです。もう一つは、新しい技術が海のものとも、山のものともわからないものの、期待が先行し、とりあえず採用してみようというプロセスになります。


これを理論化したのがF. M. Bassという人で、今からおよそ45年前の1969年にこの論理を考えました。考え方はとてもシンプルで、新たな技術を有無も言わず採用する革新者と、その人の効用を見て真似をする模倣者に分け、商品の普及を説明しています。


一方で、技術水準がまだ多くの人々に受け入れられるレベルに至っていないにも関わらず、期待だけが先行する場合があります。一旦形成された市場の期待が落ちてしまった場合、その後、なかなか本採用に至らない場合があります。これを、定式化したのが米国のITマーケティング会社のガートナー社です。この、期待が盛り上がり、その後、急速に期待が下がったあと、技術成熟により徐々に採用が始まり、期待が回復するというモデルを「Hype(ハイプ)曲線」と呼びます。

ちなみに、Hypeは誇大広告、過剰な宣伝などの意味です。


▲技術のハイプ曲線(出典:ガートナージャパン株式会社)


ご存じの方もいらっしゃると思いますが、日本の電気自動車(EV)の歴史において、これまで大きく3回、期待が高まり、普及が見込まれる時期がありました。EV開発の歴史を振り返りながら、その3回の期待値の盛り上がりを見ていきたいと思います。


世界で初めてつくられた自動車は蒸気の力で動くものでした。1769年に開発されましたが、その後しばらくは馬車業者の反対などもあり大きな普及は起こりませんでした。しかし、1866年、イギリスのロバート・ダビットソンが一次電池(充電できない電池)を使ったEVを実用化します。これは、1892年にダイムラーとマイバッハがドイツでガソリン自動車を発売する、およそ6年前になります。


その後、1899年にはフランスにおいてジャメ・コンタント号が時速106kmの自動車による世界記録を樹立するなどEV全盛の時期を迎えます。1900年頃の米国での自動車生産台数の4割がEVであったということを考えると、どの程度普及していたか、伺い知ることができます。しかし、当時の電池技術では航続距離が短く、1908年に発売されたT型フォードの成功によりEVは次第に市場から姿を消していくことになります。


▲エジソンが発明したEV(出典:次世代自動車振興センターウェブサイト)


翻ってわが国においても1910年代よりEVの輸入が行われ、その後国産車の開発が始まります。1930年代には商工省の補助を受けたEVが製造され、戦前、日本や台湾、満州などでも活躍していたようです。


戦後には中島飛行機の技術者らによって設立された東京電気自動車が「たま電気自動車」という名のEVを製造します。これはGHQによるガソリン供給制限に対して、代替燃料を供給する意味で開発されました。1949年には3,000台以上のEVが走っていたとの記述もあり、当時、一定程度の普及が進みます。これが1回目の普及の期待が高まった時期になります。なお、たま電気自動車の一充電航続距離は65km、最高速度は35km/hでした。


その後、東京電気自動車はプリンス自動車工業に名前を変え、1966年には今の日産自動車に吸収されます。


▲たま電気自動車(出典:次世代自動車振興センターウェブサイト)


1950年代に入るとガソリンスタンドも増え始め、また、ガソリン車の普及が加速しEVは市場から消えていきます。しかし、1970年代に入ると先進国においてオイルショックや大気汚染が社会的問題となりEVが再び脚光を浴びるようになります。これが2回目の普及期待時期でした。


日本では通産省が主導して立ち上げた「電気自動車研究開発プロジェクト」により国内メーカーが様々なアプローチでEV開発を行います。当時は現在のようなリチウムイオン電池がまだ自動車用として使えるレベルでは無く、ガソリン車などでカーバッテリーとして使われる鉛蓄電池を用いたEVでした。そのため、航続距離を伸ばすには重くなりすぎることから市場に受け入れられるまでには至らず、また、1972年のホンダのマスキー法対応エンジンの開発に代表されるような排気ガス浄化機能の向上が進み、EVは開発されなくなります。

なお、工業技術院が開発したEV-2Pは、一充電航続距離244km、最高速度85km/hと1940年代に比べ性能が随分向上していることがわかります。


▲EV-2P(出典:次世代自動車振興センターウェブサイト)


1990年代に入ると、それまでの鉛蓄電池から、ニッケル水素電池やリチウムイオン電池にバッテリーが切り替わり、性能も向上します。電池の技術発展に伴って、当時、トヨタ、ダイハツ、ホンダ、日産、GM、フォード、プジョーシトロエンなど、各自動車メーカーがEVの開発にしのぎを削ります。トヨタ自動車は1996年に米国でRAV4 L EVを発売しますが、航続距離は215kmまで伸び、最高速度も120kmとなっていました。この数値だけを見ると、現在のEVの性能に随分近づいてきたことがわかります。

この時期が3回目の期待値が高まった時です。


しかし、このような状況の中で1997年12月、トヨタ自動車はハイブリッド自動車「プリウス」を一般発売しました。その後、世界的な環境自動車の潮流はハイブリッド車となり、今にも続くほど爆発的な広がりが起こります。それに伴い、火がつきかけていたEVの普及は急速にしぼみます。当時、エコステーション推進協議会がEV向け充電スタンドを各地に設置しましたが、無用の長物となり、2012年頃まで各地で放置されていました。


▲かつてUSJに設置されていた充電スタンド


現在、急速に進むEV(含:PHEV)の普及は、2009年の三菱自動車工業によるi-miev発売、また、2010年の日産自動車リーフ発売を転機として進み始めています。すでに日本での保有台数は10万台を超え、これまで3回の普及とは比べ物にならないほど広がりを見せています。

そして、カギは、これまでの3回の普及期待の際に得た性能不足を補う技術進歩、充電インフラの充実、そして、ハイブリッドカーは始めとするモーターで走る自動車が社会に受け入れられ始めたことではないかと考えます。


今回の普及は果たして本物か、はたまたHypeなのか。


冒頭で述べた通り、製品の普及過程では、新しいものに飛びつく人と同時に、それを見て真似をする「模倣者」の両者が重要となります。その意味で、自律的に販売が増え始めているPHEVのような自動車があるということは、今回の動きがより本当の普及と考えられることを意味していると思われます。とは言え、日本の全自動車保有台数から考えるとわずか0.2%以下のシェア。


EVを真の普及にするために、これまらもEV/PHEVをお乗りの皆様と一緒に、周りの方々が模倣したくなるような状況を作っていきましょう!GoGoEVもEV/PHEVの普及のため、微力ながら引き続き頑張っていきたいと思います。


●参考ウェブサイト:

-ガートナージャパン・2014年ハイプサイクル

-EV・PHVヒストリー(次世代自動車振興センター)

-バスモデル(OR事典Wiki)

-RAV4 L EVとモニタテスト概要 (HESS学会誌)

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