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2017年4月24日

電気自動車の歴史(後編)

普段のGoGoEVコラムでは、電気自動車の”イマ”を多く取り上げています。それに代わって先月よりシリーズで電気自動車の歴史を振り返っています。今の電気自動車の形に到るまで、果たしてどのようなストーリーがあったのでしょうか。


○GoGoEV関連コラム:

-電気自動車の歴史(前編)(2017年3月27日付)

-電気自動車の歴史(中編)(2017年4月10日付)


0. 第1期 ー前回までのおさらいー

前編と中編では、電気自動車が発明されてから一時的に普及した後に姿を消すところまでの歴史を、世界と日本で分けてお伝えしました。電気自動車の始まりはガソリン車よりも早く、最盛期には普及率が2017年現在より高かったというのだから驚きです。


当初はガソリン車と注目度がほぼ同等でしたが、戦争や政策の影響がガソリン車に優位に働いたこともあり、ガソリン車の普及が進み、反対に電気自動車は急速に衰退してしまいました。実はこのような普及と衰退の波はこの後も何回かおこります。


前回までにお伝えした1回目の普及の波を第1期とし、この後編では第2期以降の普及の波の概要を紹介していきます。


1. 第2期 ーモータリゼーションと規制ー

第1期の電気自動車衰退の原因ともなったガソリン自動車の台頭により、モータリゼーションが急速な進展を見せました。その結果、1965年ごろには大気汚染が深刻化し、再度電気自動車に再び関心が集まりはじめました。注目度合いを示す証拠としては、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会で多くの電気自動車が姿を見せ、275台ものダイハツEV taxiが遊覧車として導入され、多くの人に利用されました。ダイハツEV taxiは万博の後、一部がホテルの送迎車として利用されたそうです。


同1970年にアメリカで「マスキー法」という大気汚染防止法が改定されたのですが、この法案は当時”世界で最も厳しい規制”といわれ、クリアするのは不可能とまで言われたものでした。当時アメリカでの日本車の位置は小型車を中心に存在感を高めており、基準を達成しない自動車は販売を許さないという「マスキー法」は日本の自動車会社にとっても対岸の火事ではありませんでした。


そこで日本でも電気自動車に注目し、1971年から通産省工業技術院主導で大型プロジェクト始動しました。これは自動車・電機・電池メーカと他分野の企業にまたがった異業種横断の大規模プロジェクトであり、その中で電気自動車の研究開発も開始されています。その後に1973年に第一次オイルショックが発生したこともあり、電気自動車の期待度はさらに高まっていきます。


▲日本万博遊覧車(左)と通産省電気自動車大型プロジェクト第二次実験車 EV-2P(右)(出典:次世代自動車振興センターwebサイト)


しかし1980年代になると、石油の高止まりが落ち着き、内燃機関の排ガス浄化技術が進歩したことでガソリン車のデメリットが徐々に薄らいでいきます。それに伴って電気自動車は姿を消していきます。


2. 第3期 ーZEV法案制定と第二世代電気自動車ー

1980年代後半になると大気汚染だけでなく、「地球温暖化」「化石燃料の枯渇」が社会問題として脚光を浴び始めます。その解決への糸口の1つとして、再び電気自動車が注目を浴び始めます。特に世界的に注目が集まるきっかけとなったのは、1990年に米国カリフォルニア州で制定されたZEV(Zero Emission Vehicle)規制です。


カリフォルニア州は全米中でも自動車販売数が多く、ガソリンの大消費地です。その中でも特に販売数が多いロサンゼルスを中心とした南カリフォルニアは、海岸線から山間部の下側にかけて市街地が広がっており、スモッグがたまりやすい地形であるため、80年代、ロサンゼルス上空が分厚いスモッグで覆われることが良くありました。そのような状況を改善する手段として、自動車の排ガスに厳しい規制を科すZEV規制が制定されたのです。なお、ZEV規制は現在まで続いており、ZEVの定義や規制対象・度合いは都度更新、厳しくなっています。


ZEV規制に伴い、1996年に日本の完成車メーカーも電気自動車の生産を始めます。トヨタ自動車は「RAV4L EV」、本田技研工業は「EV PLUS」シリーズを発表します。このころの電気自動車は第二世代電気自動車と呼ばれ、1充電で200kmの走行が可能となっていました。この背景には、PCや携帯電話の普及に伴い電池の小型軽量化が進んでいたことが挙げられます。その結果、それまで電気自動車の電池で使われていた鉛蓄電池から、ニッケル水素電池やリチウムイオン電池といった新型電池に移行し始めていました。


▲トヨタRAV4 L EV(左)と本田技研EV PLUS(右)(出典:新エネルギー財団webサイト、本田技研工業webサイト)


しかしながら、依然電気自動車の価格は高く、一方で90年代後半にはトヨタ「プリウス」に代表されるハイブリッド車が販売され始めたことから、電気自動車への注目度は低下していきました。そして2001年、日本各社はそろったように電気自動車の販売を終了します。


3. 第4期 ー電気自動車元年~現在ー

電気自動車の販売が終了し、電気自動車はいったん姿を消したかと思われましたが、研究開発は脈々と続けられていました。2005年の東京モーターショーではいくつもの電気自動車が出品され、その一部が次々と実用化しました。その流れで、三菱自動車の「i-MiEV」と富士重工の「R1e」により2006年から実証走行実験が始まります。


余談ですが、i-mievは今でも良く見かけますが、R1eは随分と少なくなりました。GoGoEVがスタートした頃にはそれなりに走っていたことを思い出します。


さて、2000年代後半より、にわかに電気自動車開発が活発になり、ついには皆さんご存知のとおり、2009年には三菱自動車から「i-MiEV」、2010年には日産「リーフ」が発売されます。このあと続々と電気自動車の量産販売がされ、現在につながる電気自動車普及の流れが始まっていきます。


下の図の日本の電気自動車の保有台数の推移を見ていただくとわかるのですが、各社が販売停止した2002年以降、保有台数が減少し続け、電気自動車が下火になっていっていたところ、i-MiEVとリーフの発売の翌年2011年では前年比なんと11倍!一気に普及し始めたことがわかります。それに先立つ2009年に急速充電器の販売が開始されるなど、インフラ整備も重要な要素であったことも普及開始の大きな要因のひとつでしょう。


▲日本の電気自動車保有台数(乗用車・貨物車・乗合車。特種(殊)車・二輪車を含む)


その後、2011年には電気自動車用の大容量・高性能バッテリーが家庭用電源としても利用され始めました。これによって電気自動車はただの車としてではなく、震災時の非常用電源など別の価値も認識されました。それだけでなく、航続距離の延長やスマートグリッド連動、自動走行との連携など、技術向上と新しい価値の創造が絶え間なく行われています。


そして、過去何回も繰り返してきた一時的なブームとは違い、すでに電気自動車の有用性への認識は確固たるものとなっており、現在の電気自動車普及の流れは一過性の流行ではないと言えるでしょう。


4. まとめ

いままで上・中・後編と3回に分けて電気自動車の発明から現在までの歴史をみてきましたが、普及の波が4回ありました。

主な出来事を下の図でまとめてみました。



前編・中編・後編と3回に分けて紹介した電気自動車の歴史も、これで以上となりますが、いかがだったでしょうか。筆者も初めて知ることが多く、とても勉強になりました。


特に筆者が印象に残った点を以下に挙げます。

 ・電気自動車がガソリン車よりも早く開発された

 ・過去3回のブームがあって、反映と衰退を繰り返してきた

 ・何回も市場から姿を消すほど、政策や情勢に大きく影響を受ける

 ・ジャメ・コンタント号(ワンオフの車体で超ハイスペックなマシンとか、ロマンを感じます!)


さまざまな車種が登場しましたがあまり詳しく述べられなかったのが残念です。今後各車種について特徴や開発秘話などを掘り下げてみても面白いかもしれません。


皆さんの思い出の車種やエピソードがありましたら、是非こちらのコラム「コメント欄」への投稿もお待ちしております!!最後までお読みいただきまして有難うございました。


●参考ウェブサイト

-次世代自動車振興センター

-HONDA HP

-自動車検査登録情報協会


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コメント一覧

2017/4/26 16:16

今から12年ほど前に、縁があって慶応大学の清水教授開催のプロジェクトに参加してました。
慶応 清水教授の名前でEVに興味のある方はお分かりだと思いますが、8輪電気自動車エリーカプロジェクトです。インホイールモーター(明電舎製 だから三菱のiミーブに採用されたようで)など当時では新たな技術が盛り込められており加速性能もよくポルシェ911ターボより早かったり、片山右京が8輪ドリフトをしたり話題性のあったEV車でした。
事業がうまくいっていれば、今頃テスラモーターに唯一対抗できるのに残念

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